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    和声学習に想う・・・・「見えないカデンツ」

    • 2015.02.18 Wednesday
    • 04:53
    学生が和声のテストに向けヒーヒー言っているのを見て物思う。
    作曲専攻以外の学生で、和声が好きor得意という人は少ないと思います。やれ禁則だ、やれ配置が悪いだ、決まった答えは無いだ、先生は「見えない音を聴け」等と意味不明な供述を始めるわ・・・。

    そもそも和声なんで出来なくても作曲も演奏も鑑賞もできます。勉強したとしても、聞いた瞬間(楽譜を見た瞬間)に和声を理解するレベルに達するには、果てしない時間と労力が必要です。もしあなたが作曲家でなく演奏家なら、和声の勉強をして時間を無駄にするよりも楽器の練習をした方がいいに決まっています。和声を修得したところで「絶対に」役立つとは言い切れません。

    演奏家はとにもかくにも、綺麗な音で演奏することのほうがよっぽど重要です。
    連続5度を巧みに回避して調性音楽を書くことにこだわる作曲家と、連続5度だろうがなんだろうが美しい響きで演奏することにこだわる演奏家では、確かに視点が違います。和声に対する必要性や重要性に違いが出てくるのも当然です。

    そもそも和声は、大雑把に言うと、過去のクラシック音楽の歴史の中で「こうすれば綺麗に響く」「こうすれば汚く響く」ということを体系的にまとめた音楽理論でしかありません。必ずこうしないといけない!というものではないのです。
    これは真理であると同時に、和声を学習する者からしたら「じゃあなんで勉強しないといけないのよ笑」というジレンマを生む原因の一つでもあります。絶対的な理論ではないのに、連続5度をすると先生に叱られる。全く意味が分からない世界です、和声は。

    ___________________________


    「果たして和声を勉強して、何の意味があるのか・・・・?」

    これに答えるのは容易ではありません笑

    音楽の構造を理解するためでしょうか?
    作曲家が選んだ音使いを探索する手がかりになるからでしょうか?
    作曲する際に生かすためでしょうか?

    どれもそれっぽい答えですが、絶対的な強さとしなやかさを持つ答えではありません。
    和声だけが上記の事に繋がる鍵ではありませんからね。
    決まった答えなんてないんですよね。。。人それぞれ和声に対する重要性は違いますし。

    あくまでも個人的な考えですが、わたしが考える和声学習の意義というのは、
    ハーモニーのもつ響きを「感覚として体得」するための練習、だと思います。

    机上のみで和声を実施していたのなら、正直何の意味もありません。ピアノで弾いて実際に音を聴かないと意味がありません。和声課題を実施することも大事ですが、「良い解答を耳で覚える」ことのほうが重要だとも思います。
    こう音を重ねればこういう響きになり、どんなハーモニーの力学が生じるかといったことを、8〜16小節のミクロの世界で少しづつ練習し、聴覚という感覚に記憶として埋め込んでいく、という鍛錬です。
    ドミナントからトニックへ向かう時の吸引力、偽終止したときの意外感、なかなか解決しないもどかしさや、調性の色彩、準固有和音のまろやかさ、等等。そういったものを頭で考えるのではなく、「感覚」に昇華しないと、和声学習の意味はありません。
    連続5度をしないように・・・第3音を重複しないように・・・導音は必ず主音に・・・第7音は2度下行。。。。。そいういうことじゃないんですよね、大事なことは(試験だったら減点されますけど笑)。

    和声を修得すると何ができるようになるかというと・・・

    ・音楽の次の展開を予測できる
    ・たった1声部を聴いただけで、実際にはなっていない他の声部、背景に流れる和声が聴こえてくる
      (追記:これ↑は、Bachの無伴奏曲等、単旋律の楽曲を演奏する際に本当に重要)
    ・和音の響きを質量を持った実体があるかのように捉え知覚できるようになる

    等等。
    これらはあくまで私個人の感覚ですから、ちょっと言葉では分かり辛いかもしれませんが。。。

    ___________________________

    また、和声はいわゆる調性音楽についてのハーモニーの勉強ですが、無調や他ジャンルの音楽をする時ももれなくこういう感覚が付いてきます。お得ですね(何が)。
    例えば調性音楽と無調音楽。調性が有ろうが無かろうが、時間芸術という意味において、時間推移というものを軸に音をどう展開させていくか、ということを主としていますから、ハーモニーの力学や概念がちょいと違うだけで、時間推移上での音の展開という点においては根本的に変わりがないです。
    また、調性がなくても「解決」や「偽終止」や「非和声音」等といった概念は少なからず存在していると思います(決してこれらが全てではありません)。分かりやすく言うと、例えば「解決」は「何か区切りがついた感じ」、「偽終止」は「意外な展開」、「非和声音」は「どこか緊張感をもった感じ or 音のぶつかりによるある種の快感」ですかね。これらはあらゆる音楽に何らかの形で存在していると思います。和声など存在しなかった時代や文化の音楽、調性の崩壊以後の音楽も、結局は時間を軸にした芸術(または芸能、文化)なのですから、何かしらの共通点はあると思います。具体的に言葉で説明できないのがもどかしいです。

    その見えない時間軸上で、和音の連続によって生まれる重力変化をコントロールした一つのルールが「調性」で、それを体系的にまとめたのが音楽大学などで勉強されている所謂「和声」です。
    和声では、不協和→協和または緊張→安定という「解決」、つまり「カデンツ」の連続が音楽の根底として流れています。カデンツは和音の相互関係だけにとどまらず、音楽のありとあらゆる要素に影響しています。対位法、主部分と副部分(サビとBメロ的な)、オーケストレーションの変化、等等。それらは複合的に扱われ、最終的に時間軸上に設計・配置されることで「見えないカデンツ」として存在しています。
    和声学習は、その「見えないカデンツ」を掴もうとする、最初の一歩だと思います。

    ___________________________

    くどいようですが、和声ができなくとも音楽はできます。
    しかし、演奏活動が円熟してくると次第に、実体をもった「何か」の音楽感覚が知らず知らずのうちに自分の中にいることに気づき始めると思います。それがきっと「見えないカデンツ」です。
    学生時代に和声がさっぱり分からなかったけれど、後年になり和声を再び勉強したい、という人が少なくないのは、自身の音楽活動の中でいつの間にか体得していた「見えないカデンツ」を、理論と共にハッキリ突き止めたいという欲求が生まれてきたからではないでしょうか。

    私が大学の和声の授業で必ず言うことは
    「弾いたり歌ったりして、耳で覚えろ」
    です。
    和声の初学段階は、まずハーモニー感覚をつかむための学習です。禁則を覚えることよりも、まず耳に響きを叩き込むこと。先にも述べましたが、ハーモニーのもつ響きを「感覚として体得」しないと、いつまでたっても机上での勉強のままです。
    現に、全くピアノで弾いて自分で書いた音を確認しない学生よりも、しっかりピアノで弾いて響きを確認している学生の方が修得が早いです。

    正直、大学の1〜2年間だけ、しかも集団授業で和声を体得するなんて、絶対に無理な話です。
    それでも、いつか学生が将来音楽をしている時に「見えないカデンツ」に気付き、和声の存在を改めて認識した時に、和声学習は決して無駄ではなかったと思ってくれることを願って、毎週授業しています 笑。
    学生に口で言ってもなかなか伝わりませんし、結局本人がそれに気づかない限りは和声を勉強した意義は発揮できないかもしれません。そしてそれに気づいた頃には、もうきっと和声の授業は受けられない環境にいるでしょう笑。
    それでも、成績の優劣に関わらず、大学で和声を学習したということは、「音楽を紐解く鍵を一つ持たされた」ということに違いはありません。
    その鍵を使うも捨てるも、どの扉を開けるか閉めるのかも、結局は本人次第です。
    「見えないカデンツ」を、自分の感覚として体得する
    これが、(和声に限らず)音楽理論を勉強する究極の目的なような気がします。

    ___________________________

    例えばジャズでも、このコードにはこのスケールが使える、という理論的なことをまず勉強させられます。しかし、頭でだけ考えているうちは、いつまでたってもどこか杓子定規なアドリブしかできないでしょう。理論的なことを踏み台にして感覚にまで高めることが重要です。
    自転車で例えると、
    「前に進むにはペダルを漕がないといかない」
    「曲がるときは重心を移してハンドルをゆっくり切る」
    「止まる時はブレーキをかける」
    などと、いちいち頭で考えて自転車に乗っている状態です。自転車に乗る時、そんなこといちいち考えませんよね?それはつまり、感覚として自分の中に既に存在しているからです。ジャズの演奏も一緒で、このコードにはこのスケールで演奏すればこうなる、ということを頭ではなく感覚として音に託せられるレベルになって初めて、自由なアドリブが演奏できるってもんです。

    和声学習も本当はそこまでやらないと意味がないんですけど、なかなか学校教育の中では難しいですね。。。
    学生諸君、なんとか和声の試験、乗り切って欲しいです笑(結局現実的にはそこ←笑

    文章書くの苦手なので、ちょっと読みにくい内容になってしまいましたが、長文におつきあいいただきありがとうございます。

    おしまい

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